ヨーロッパ地域

B-1.北欧地域

(1)スウェーデン

クロナン(Kronan)号海底遺跡

エランド(Oland)島の東海岸約40km沖、深さ26mの海底で発見されたスウェーデン王国の旗艦で、1676年にデンマークとの戦闘の結果沈没した。この船は全長約60mである。1980年には遺存状況の確認調査が行われ、81年から発掘調査が始まり、4t程の大砲の引き揚げが行われた。その中にはデンマーク製の物も含まれている。83年には海底にグリッドを設置し、84年にはテスト・トレンチを遺構上に設け、89年まで発掘調査が継続されている。船体の残存状態は全体的に良好ではない。

オスカースハムンコグ(Oskarshamn Cog)遺跡

この沈没船(Cog)はボオスホルメン島の近くで、地域住民によって1964年既に海岸近くまで引き揚げられていた。1984年に写真によって再確認され、85年には本格調査が始まった。調査はさらに86~89年まで続き、その間87年にはこの船は海から引き揚げられている。年輪による年代測定では1250年頃の年代が与えられている。

ティングトレードトラスク(Tingstrade Trask)湖底遺跡

この遺跡はバルト海に位置するゴトランド(Gotland)島で見つかった木製枠組構築物遺跡である。所謂ブルバーケット(Bulverket)と呼ばれ、1921~36年にかけて初めて調査され、1986年から再調査が行われている。12世紀前半のスカンジナヴィアのバイキング時代の終末期にあたる遺構である。

エリックノルデエウォール(Eric Nordewall)号湖底遺跡

この遺跡はベッテルン(Vattern)湖の水深45mの湖底で出土した初期蒸汽船の遺構である。船体中央部の両舷側に付けられたパドル車輪で推進する全長45.7mの船である。湖はバルト海とカテガット海峡を結んでいるイエータ(Gota)運河(1832)のほぼ中央部に造られた人工湖である。エリック・ノルデエウォール号は1836年に建造され1856年に沈没した。1980年に沈没の位置が確認され、1986年にはスウェーデン海洋博物館(Swedish National Maritime Museum)による調査が始められた。この調査の最終目的はこの沈没船を引き揚げ、保存処理をし、修復して永久展示することである。

(2)デンマーク

この国の水中遺跡調査活動の歴史は古く、初めての本格的調査は1864年に始まる。ショレスウイッグ(Schleswig)のニーダム(Nydam)で発見された紀元350~400年頃の船で、考古学者によって発掘調査された船は復元されて、博物館に展示されている。その後1921年にアラス(AIs)島のハイジョルトスプリング(Hjortspring)で出土した鉄器時代初頭(前350~300年)の小型船の発掘調査がある。この国では歴史的な経緯からバイキング時代の船の遺構に最も関心が深いのは当然といえよう。

(3)ノルウェー

この国の水中遺跡調査はデンマークと同様バイキング時代の船の遺構の発見に関心が深い。それらの遺構はゴタスタッド(Gokstad)、オーセバーグ(Oseberg)、オスロフィヨルド(Oslofjord)、カルメイ(Karmoy)、カバルサンド(Kvalsund)、テューン(Tune)等から出土した。船が埋葬施設として使用されているために遺存状態が良好である。

B-2.東欧地域

この地域に関する新しい資料がないために詳細な水中調査活動を述べることはできない。しかし水中考古学による発掘調査よりも、偶然に遺構や遺物が発見される例が数多い。とくにロシアでは水中考古学への関心は1930年代に黒海を中心としてすでに始まっている。第二次世界大戦後、潜水器具の急速な発達はロシアの水中考古学の活動にもその影響をもたらした。1950~60年代の黒海沿岸沿いの古代ギリシャ植民都市の発掘調査は組織的に行われた。ギリシャ植民地活動では母市からの移住による植民地建設が良港を中心とした選地にあった。そのため海進により海岸線が後退し、これらの植民都市が海底に沈む結果となった。湖沼の調査も行われ、イッシククル湖の集落跡などに組織的な水中発掘調査が行われた。

B-3.西欧地域

(1)フランス

フランスが戦後、水中遺跡調査の先駆者として果たした役割は大きい。それは水中機器の開発に重要な貢献をしているからである。地中海を中心に水中活動を拡大しているが、中でも1952年に調査されたグランコングルエ(Grand Congloue)海底遺跡は地中海の水中遺跡調査の先駆けであり、海底遺跡に対して総合的・科学的に考古学的手続きを踏まえた発掘調査として評価されるべきものである。このことが後年になって遺跡の復元を行うことを可能にした。また遺跡の再検討は再び新しい発見をすることになる。それは異なる年代に属する2隻の沈没船が海底で互いに上下に重なりあった状態で検出されていた遺構である。2隻の沈没船遺構は所謂複合遺跡といえよう。フランスの水中遺跡の調査を次の2地域に分けて概観することとする。①国の西側に広がるイギリス海峡・ビスケー湾における調査、②地中海における調査。地中海の水中遺跡調査はここでは説明せず、地中海地域の(2)イタリア・フランス及び西地中海地域で述べることにする。

メイドストーン(Maidstone)号海底遺跡

この遺跡はブリタニア、ビスケー湾に面したノアールムーチェ(Moirmoutier)島の海底で検出されたイギリス籍のメイドストーン号(1747)の遺構である。カリブ海からフランスへ帰航中のフランスの商船軍団に攻撃を仕掛け、フランス海軍のドロメデール(Dromedair)号を捕捉するための操船を行い、誤って座礁し沈没した。1980~85年にかけて発掘調査が行われた。

アーバーラック(Aber Wrac'h)海底遺跡

この遺跡はブルターニュのイギリス海峡に面した半島の先端、ブレスト(Brest)の町から北へ30kmのアーバーラック川の河口、水深8~15mの海底で出土した沈没船の遺構である。この遺構は1985年に発見され、沈没船であることが確認された。1986年に本格的発掘調査が始まり、87~89年に調査が行われ、その後も調査は継続している。遺構は長さ20m、幅6mである。この遺構にともなう出土遺物は少ない。そのうち銀貨8枚(イベリア銀貨6枚、ブリトン銀貨2枚)が船の床部材の上で検出された。ブリトン銀貨は1399~1442年に鋳造された。土器はブリタニア地方のセイントジェンラポテール(Saint Jean La Poterie)の窯で作られたもので、16世紀頃までブリタニア地方でみられるものである。ブリトンの記録には、この地の海域でイギリスの商船が1435年に遭難、沈没したことが記されている。

バッセーデカン(Bassesde Can)海底遺跡

この遺跡は南フランスのバッセーデカンの水深80~90mの海底で発見された。1988年の調査では海底からアンフォラが出土している。

ベナー(Benat)海底遺跡

この遺跡は南フランスのベナーの水深328mの海底で発見された。1987年の調査ではこの海底から前2世紀に属するアンフォラが出土している。

(2)ドイツ

ドイツの水中遺跡に関しては、まず国土の地理的な環境を考えなければならない。ドイツの国土で海に接している地域はわずかしかない。そのわずかな地域はデンマークの北に延びる半島を挟んで東西に海岸線が続く。東はバルト海沿岸、直線にして約200km、西は北海に面していて約160kmである。このような環境のため、水中遺跡調査は河川、湖沼、運河に限られてくる。しかしドイツの考古学や海洋研究機関は、地中海海域(ギリシア、イタリア)での沈没船や港湾都市の海底調査を積極的に行っている。

オーベルシュタイン(Oberstoin)川底遺跡

この遺跡はラインランド地方のライン川に流れ込むナーエ(Nahe)川で出土した1~2世紀に比定できる軍事用の船である。遺跡からは2隻の船の遺構が検出され、1988年に発掘調査が行われている。船体の造船法としては所謂pegged motice-and-tenon jointsが採用されている。地中海で広く採用されている造船技術のひとつである。

(3)オランダ

オランダの国土は海より低く国土の拡大は浅い海を干拓せざるをえなかった。この干拓工事に伴う付近の海底からの沈没船の発見の記録は古くから残っている。1822年に中世の軍船がコーネリウスとガリヴィマンス(Carnelius and Glivimans)によって発掘されている。オランダでは1940年代にズイーダージー(Zuyder Zee)のドライ化が始まり、この時に12~20世紀に比定できる小型~中型船(Duch Ferr)の遺構が350以上の地点で発見されている。1980年代に入ると開発にともなう水中遺跡の破壊という現代が抱える緊急を要する重要な問題が生じている。最近のロッテルダム港の港湾施設の充実、規模の拡大計画・開発工事にともなう海底遺跡の破壊という状況がここで起きている。いわゆる「開発による遺跡の破壊か保存か」なのである。海底遺跡はライン川の河口、サルフター(slufter)地区のデルタ地帯での浚渫時に遺物や沈没船の遺構が海底で相次いで発見されている。この地帯の海底はシルト層(fluvio-marine deltaic sediments)が水深21mまでかなりの厚さで堆積している。水深21mで前フランダース陸地の上面に相当する所謂“ベルセン層”(Layer of Velsen)が出現する。この海底を水深28mまで下げる工事が現在進行している。海底の堆積層の中から中石器時代の遺物が発見された地点は3カ所、19世紀以前の沈没船の遺構は4カ所である。その内1隻は船体の構造から伝統的なオランダ船、スマク(Smak)級の船で、年輪年代(Dendrochronology)によると使用された船の部材に1796年という年代が示された。19世紀以後の沈没船の遺構は5カ所の海底の堆積層の中から検出されている。オランダの水中遺跡については、とくに沈没船の海底遺跡を挙げなければならない。しかしこれら海底遺跡は国内に存在しているのではなく国外にある。それらは彼らの経済活動の歴史を海底で証明する物的証拠である。海上活動を証明するものはオランダ東インド会社である。

オランダ東インド会社(Verenigde Oustindische Compagnie)は1602年に設立され、1799年にその活動を終える。その間約1,700隻が建造され、その内246隻が失われ、105隻は目的地に到着する途中に遭難し、246隻は帰路の途中に遭難にあっている。オランダ東インド会社(VOC)の船舶は遭難した246隻のうち27隻がイギリスの領海内で沈没している。その内これまでに調査された沈没船は9隻にのぼる。内訳はイングランド島の南のイギリス海峡で6隻が沈没し、その内4隻(Campen1627;Prenses Maria1686;Hollandia1743;Amsterdam1749)が調査されている。イギリス北端にあるシェットランド島、ヘブリデース島で遭難し、これまでに調査された沈没船の5隻(Haan1640;Lastdrager1653;Kennemerland1664;DeLiefde1711;Adelaar1728)を沈没時期とその時代の歴史的背景を考慮すると、沈没原因はオランダとイギリスの両国の国際関係に起因していると思われる。つまり両国の関係が悪化するのは第1次英蘭戦争(1652~54)で、これはイギリス公海法(EnglishNavigationAct 1651)が原因である。さらに、第2次英蘭戦争(1665~67)、オランダ仏英戦争(1672~78)によって、オランダ船のインドへの航路は、アムステルダム港を出航し、進路を直ちに南にとりそのままドーバー海峡やイギリス海峡を通過するのではなく、イングランド島の北を迂回する航路をとっている。

ベヒテン(Vochton)川底遺跡

この遺跡はユトレヒト(Utrecht)近くで1988年に出土した沈没船で1世紀頃に比定できる。

ツワマーダム(Zwammerdam)川底遺跡

この遺跡はツワマーダムで出土した沈没船の遺構である。1988年に発掘調査が行われている。遺構の年代については今のところ不明である。

アルメール(Almere)遺跡

この遺跡はアルメールの町で1988年に出土した15世紀頃の小型船(Cog)といわれたもので、INAとオランダのケテルハーベンにあるオランダ船舶考古学博物館(Dutch Museum for Ship Archaeology)との共同調査である。

(4)スイス

スイスでは湖沼上に丸木の杭を打ち込みその上に建物を建て、集落を形成する。いわゆる「湖上住居跡」が数多くチューリッヒ湖、ヌーシャテル湖、ファヒイコン湖から発見されている。これらの遺構は湖の水面が低下したおり発掘調査が行われたり、あるいは漁師の網に偶然にこれらの遺構に関連する遺物が引き揚げられたりして、これまで調査が行われてきた。最近は水中機材の発達(ドライスーツ、フーカー潜水で長時間の水中調査が可能)により厳冬の気象条件(湖水の凍結が水面を低下させ水深が浅くなることや湖水の透明度がよくなる)を利用した発掘調査が行われている。

B-4.イギリス地域

イギリスでは水中遺跡文化財保護法(Protection of Wrecks Act)が1973年から施行された。1989年までにこの法律により指定されたいわゆる周知の遺跡は34件に達している。マリー・ローズ号はこの最初の年に指定された遺跡である。水中考古学が世界的にその高まりを始めた1960年代から70年代に入り水中遺跡の発掘調査という学問的関心と共に水中文化財を保護する必要性が説かれ始めた。この地球的規模の動きのなかでイギリスは早くから水中考古学への強い関心があり、その学問の歴史も古く、ヘルメット式潜水器によるスコットランド地方の湖底遺跡の調査は20世紀初頭にはすでにこの国で始まっている。その時以来水中文化遺産への人々の関心はこれらの遺跡をどのように専門的学問領域で解明するかであった。一方水中遺跡は湖を含め国を取り巻く海岸地帯で多くの沈没船が文献的にあるいは実際の調査で確認されている。その中でも、最大の関心事はイギリス東インド会社所有の沈没船である。イギリス東インド会社(English East India Company,[EEIC])は設立後、その活動を終了するまでに約200~220隻の船舶を遭難で失っている。その内イギリス領海内で沈没し、これまで調査の行われた船は7隻である。これら全てイギリス南部の海岸地域で行われている。この事実からこれらの船がロンドンあるいはポーツマス港を母港として航行していたことがうかがえると共にインド方面への航路も推定できよう。その他スウェーデンの東インド会社の船は2隻がイギリス領海で沈没し、すでに調査が行われている。デンマークは1隻が沈み、その調査が既に行われている。またこの海域で沈没したオランダ船27隻のうち9隻が何らかの形ですでに調査されている。

(1)イギリス

オークパン(Oakbank)湖底遺跡

この遺跡はロックタイ(Loch Tay)湖で検出された遺跡である。この遺跡はいわゆるクランノグ(crannog)と言われる人工島遺跡である。このクランノグは石組の遺構で、この石組の上に住居をつくり生活した遺跡である。この遺跡は1980~90年にかけて調査が行われていて、ヨーロッパの青銅器時代に属するものである。この湖では18カ所でクランノグが確認されている。

ロックバラブハット(Loch Bharabhat)湖底遺跡

この遺跡はスコットランドのルイス(Lewis)湖で検出された遺跡で、1985~90年にかけて調査された。ヨーロッパ鉄器時代のクランノグ遺跡である。このルイス湖には多くの人工島が存在しており、そのほとんどが鉄器時代に属する。1984年にこの湖の人工島の調査が始まり、これまですでに24カ所で遺構の存在が確認されている。

アムステルダム(Amsterdam)号海底遺跡

この遺跡はヘースチングンの海岸で発見されたオランダ東インド会社(VOC)の船で1749年にこの地で遭難し、沈没した。1984年から調査が行われている。

クラインノグファウル(Clynnog Fawr)海底遺跡

この遺跡は北ウエールズ地方のカーナフォン(Carnarfon)湾で発見された石組の構築物で、13世紀初頭の魚を集めて捕る仕掛の梁で、1988~89年に調査されている。

ケンナマーランド(Kennomorland)号海底遺跡

この遺跡はシェトランド(Shetland)島のアウトスケリース(Outskerries)沖で1664年に沈没したオランダ東インド会社(VOC)の船で、アムステルダムからインドネシアのバタビアに向けて航行途中に遭難した。1984、87、88年に調査が行われている。

ヤーモー卜ロード(Yarmout Roads)海底遺跡

この遺跡はワイト(Wight)島、ヤーモスの沖約250m北側で1984年に沈船が発見され、本格的な調査は1986年から始まっている。調査の結果、この沈船の年代が16世紀初頭~半頃に比定できることが判明し、陶磁器、鉛の水差し等の遺物も引き揚げられている。

アルビオン(Albion)号海底遺跡

この遺跡はテームズ川河口に位置し、1765年に沈没したイギリス東インド会社(EEIC)の船で、17mの砂質の海底で検出されている。1985-87年にかけて調査が行われた。

サクソン(Saxon)河川遺跡

テームズ川の支流リヴェアリー川のクラファンの西側川岸の地表下6mで発見された丸木船である。1987年に調査が行われ、年論測定で950~1000年の年代が与えられている。

アールオブアバーゲイブニー(Earl of Abergavenny)号海底遺跡

この遺跡は1805年にイギリス海峡のウェイマス(Weymouth)湾で沈没したイギリス東インド会社(EEIC)の船である。第5次のインドへ向かっての航海を始めた矢先の遭難である。この船は同じ船名を持つ2代目の船である。沈没船の遺構は海岸から沖2.5mの水深18mの海底で、砂質の浅瀬になった場所で検出された。積載物資は2年後の1807年までにほぼ回収された。1950年代後半に遺構が発見され、1960年代は回収業者による船体の部材引き挙げ後の売却、さらにスポーツダイバー用の沈没船として、遺跡は破壊されていた。1979年になり科学的な水中調査がこの遺構で始まり、1980年から遺構の現状況の調査から始まり90年以降も調査は続いている。

カルデコットキャスル(Caldicot Castle)湖底遺跡

この遺跡はウエールズ地方、ネダーン(Nedern)川の河口に1988年に人工湖を造るときに発見された青銅器時代の遺構・遺物である。1990年には船板が完形ではないが、出土している。長さ3.55m、幅0.65m、厚さ0.6cmを測る。C14の年代測定によると約2800年B.P.が与えられた。

マリーローズ(Mary Rose)号海底遺跡

この遺跡は英国で1973年に施行された水中の文化財保護法(Protection of Wrecks Acts)により最初に指定された沈没船遺構である。ヘンリー8世の旗艦でポーツマス港の沖のソレント海峡でフランスとの戦闘中に操船の誤操作で1545年に沈没した。船体は1836年にジョン・デーンとウイリアム・エドワードによって部分的な引き揚げ作業が行われた。1960年代になって再び沈没船の位置が確認され、新たにこの沈没船の発掘調査が具体化し、引き揚げの全面的な調査が1979年に始まり82年に終了した。船体の上部構造は欠損しているが、左舷側を下にして沈んでいた為、左舷の2/3が残存していた。遺構の実測には3点のデータポイントを設置し、その地点からのテープによる直接実測方法(Direct Survey Method[DSM])を採用し、コンピューターの座標軸の上に誤差を修正して、その位置を正確に落とす実測を行った。この方法は水中の透明度の悪い環境ではより効果的で、実測は簡単、時間的にも節約できる長所がある。この方法はバーミューダでのシーベンチャー(Sea Venture)号、オランダ東インド会社(VOC)所有アムステルダム(Amsterdam)号の発掘調査でも採用された。

インヴィンシブル(Invincible)号海底遺跡

この遺跡は1758年にソレント(Solent)のホーステイル(Horse Tail)で沈んだ船である。英国の文化財保護法の第2番目に指定された沈没船遺構である。フランス海軍の船として建造され、1747年フィニスター(Finisterre)の海戦で共国に破れ、それ以来英国所有に変わった。1980年より調査が始まった。

ハーザーダウス(Hazardous)号海底遺跡

この遺跡はブラックルシャム(Blacklesham)湾の南東約800mの水深7m程の海底の砂質底にあるハーザーダウス号の沈没船の遺構である。潮の流れの速い海底である。1966年に地元の漁師によって発見された。しかし沈没船の正確な位置は1976年まで確認されず、その後チチェスター水中クラブ(Chichester Sub-aqua Club)のアマチュアダイバー団体組織により77年に初めて確認調査が行われた。1979~84年にかけて定期的に発掘調査が行われ、磁気探知機を用いての遺構の範囲や状況が調査された。1986年には本格的な発掘調査組織がつくられ、沈没船保護法(Pretection of Wrecks Act)にもとづいての調査手続きがとられ、「周知の遺跡」として、この遺構の発掘調査が行われている。さらに87年以降も発掘調査は続けられている。この船は1698年にフランスの軍艦として建造され1703年にイギリスとの海戦の戦利品としてイギリス軍に渡り、イギリス船籍としてアメリカの植民地へ向けて出航、その途中1706年11月にこの地で座礁し、沈没した。

アムステルダム(Amstordam)号海底遺跡

この遺跡はイギリス、ドーバー海峡に面したヘースチングス(Hastings)の町から西のブルバーハイスの海岸で座礁し、沈没したオランダ東インド会社のアムステルダム号(1749)の遺構である。船は1741年に制定された船の新しい規格にしたがって「150ft船」として1748年に建造された。最初のインドへの航海にアムステルダムを出航して間もなくこの遭難事故に遭った。遺構は約6mの砂質の海底に埋没した状態で検出された。遺構付近の環境は平坦な海底を呈し、ほとんど岩礁らしき物はない。海岸汀線(最高高潮面)から約300mの沖に遺構はあり、潮の干満の差は6mにも達する。水中の透明度は良くない。春の季節に潮位が最も下がるわずかな期間だけ残存する最上部の部材が船体の輪郭状に少し浮かび上がり、わずかにその船体の全容がうかがえる。この遺構は1969年に再発見された。その間この遺構からの遺物はかなりの規模で盗掘を受けていた。1975年になりアムステルダム文化・市政省(Ministry of Culture and the Minicipality of Amsterdam)の援助で船体の発掘調査、引き揚げ、保存復元、アムステルダムの博物館に特別展示をすることを目的としたアムステルダム号財団(Stichting VOC Ship Amsterdam)が設立され、発掘には初め遺構のドライ方式が計画されたが、船体の環境を急激に変えない、部材の良好な遺存状態を保存するという視点から採用されなかった。1983年に財団はイギリス・オランダ合同の考古学者、ダイバーからなる調査協力体制を確立し、1984年にこの遺構に最初の発掘調査がはいった。さらに1985年、86年と続いた。船体は長さ50m、幅12m、高さ6mが残存する。船体を潮の干満、波の影響から保護すること、さらに遺構全体に堆積している覆土を取り除くと遺構内部が外圧の増大により遺構自体が崩壊することを防ぐために周りに矢板を打ち込み船尾から20mを囲い、遺構のすぐ近くに作業台を設営する。さらにこの発掘調査の目的には教育的な要素も含まれている。考古学専攻の学生には水中考古学の知識・技術の習得、アマチュアダイバレには海底発掘調査を体験学習として開放していることである。実測にはマリーローズ号で採用された直接実測方法(DSM)がこの遺構の発掘にも使われている。(DSM)の基準点(datum point)を矢板に渡した幾つかの横板に設置し、3点測量を行い、それと同時に測点のレベルをだす。これらのデータは全てコンピューターに入れられ、立体的な位置として確立する。

(2)アイルランド

ロウキナール(Lough Kinale)湖底遺跡

この遺跡は所謂クランノグで、湖岸から20m、深さ2mの場所に構築された人工的な島で、祭祀遺跡である。1986~87年にかけて調査され、出土した青銅製品は8世紀頃に比定できる。