瀬戸内海・四国近海

  • アンケート調査(2009年6 月~8 月)
  • 愛媛県調査(2009年8月3日~6日)
  • 香川県・岡山県の資料調査
    (香川県 2009年9月3日~5日
    岡山県 2009年9月16日・29日・10月29日)
  • 兵庫県・韓荷島諸島踏査
  • 高知県現地調査(2009年9月22日~24日)
  • 琵琶湖・沖の白石潜水調査

アンケート調査

瀬戸内海の水中遺跡に関する基礎的な情報の収集と、水中考古学の啓蒙・普及を目的として、主に平成21 年6 月~ 8 月にかけてアンケート調査を実施した。調査対象は、瀬戸内海と太平洋に面した1 府9県の各教育委員会、漁業組合、ダイビングショップである。送付アンケートについては、アジア水中考古学研究所が平成20 年に実施したアンケートと同型式のものを使用した。また、他に、文化庁が平成2 年に水中遺跡に関して実施したアンケートの内容について追跡確認のため、該当する府県、市町村については別途資料を送付した。

アンケート調査の結果、総送付数822 通に対し、白紙も含めた総返信数は174 通(返信率21.2%)であった。また、返信のあった174 通のうち有効回答が48通(回答率5.8%)あった。

愛媛県調査

調査は愛媛県沿岸地域( 伊予灘、芸予諸島) を対象とし、水中文化遺産の基本情報の収集を目的として、アンケート調査により寄せられた情報の確認、文化庁公開データの確認、それ以外の情報収集及び整理をアジア水中考古学研究所会員5名で行った。

なお、本プロジェクトにおける瀬戸内・四国地域は、特定非営利活動法人水中考古学研究所との共同調査域であり、愛媛県・高知県についてはアジア水中考古学研究所が担当した。

香川県・岡山県の資料調査

アンケート調査でわかった土庄町の海難文書をはじめとする香川県の海難文書についてと、「瀬戸内海における海あがり考古資料調査報告」真鍋1990で報告されている資料について、また近世の海運などについて瀬戸内海歴史民俗資料館でお話を伺った。他に宇多津、多度津などの港の立地と現況を確認するために現地を踏査した。

岡山市朝日漁協に水中文化遺産についてのアンケートを送付したところ、組合長豊田安彦氏から連絡があった。40 年程前に久々井沖合2km 付近において、底引き漁中に壺を引き揚げたという内容であった。自宅に遺物を保管しているとのことで、確認調査のために訪問することになった。

兵庫県・韓荷島諸島踏査

韓荷島三島の沿岸部を踏査し、遺物の分布状況から水中遺跡の有無を探るのが調査目的である。

韓荷島三島は、直径約100 ~ 200m の無人島で、いずれも島の海岸線の大部分が切り立った岩礁地帯であった。調査の結果、地ノ唐荷島、中ノ唐荷島で、近世の陶磁器類を採取した。また沖ノ唐荷島では、古墳時代の須恵器の口縁部破片、平安時代の須恵器の脚部片、他に内面に同心円叩きのついた須恵器の甕胴部片と時期不明の土師器片を採取した。

須恵器などが採取されたのは、大潮の干潮になると中ノ唐荷島とつながる沖ノ唐荷島側の干潟部分である。遺物の散布状況からは沖合いから何らかの形で漂着したものと考えられる。ただし、近郊の海底に水中遺跡あるいは、沈没船などの存在を伺わせる資料は得られなかった。

高知県現地調査

調査は、ARIUA 会員の中から、林原利明を調査責任者として二宮俊洋・岡沙織・柏木数馬の参加による合計4名で、2009 年9 月22 日(火)から24 日(木)の3日間をかけて実施した。調査内容は、アンケート調査によって得られた情報を確認すること、2000 年度文化庁公開のデータ(『遺跡保存方法の検討―水中遺跡―』)の確認をすること、それ以外のデータの収集・確認をすること、そして最終的にはそうして得られた情報を整理することである。調査方法としては基本的に、聞き取り調査・資料調査・現地調査の3つの方法を採るものとした。聞き取り調査では、現地の関係機関を訪問し担当者などから水中引揚遺物に関わる情報や水中・海辺での遺跡・遺物についての情報を収集する。資料調査では、博物館・史料館にて保管展示されている遺物、個人により家蔵されている遺物を実見し、必要に応じて写真撮影ならびに簡易実測を行なうこととした。また、図書館・資料館にて現地由来の海揚がり遺物・水中遺跡に纏わる文献資料を収集する。そして現地調査では、聞き取り調査・資料調査の結果得られた情報や関連遺跡に実際に足を運び、現地を踏査、現況を確認する。状況に応じて、簡易測量および散在遺物のサンプル採集・散布状況の確認を行なうこととした。

琵琶湖・沖の白石潜水調査

今回調査を行った、沖の白石は、大小4 つの岩礁からなり、滋賀県高島市安曇川町の沖約5km に位置している(図1)。この地点は琵琶湖北湖のほぼ中央であることから、古来より湖上交通の指標として利用されてきた。今回調査に御協力いただいた安曇川町地元漁師の話によると、現在でも、天候が不良の場合、対岸の彦根に航行する際の目印として利用しているそうである。また、沖の白石の西側5km の地点に位置する多景島は、湖底遺跡として登録されており、潜水調査が実施されている。引き揚げた遺物の中には、祭祀に使用されたと考えられる遺物もあり、琵琶湖に点在する島々が、湖上交通の指標だけでなく、信仰の対象でもあったことがうかがえる。

しかしながら、沖の白石については、現在のところ湖底遺跡として登録はされておらず、また、調査も行われていない。こういった現状を踏まえて、沖の白石周辺の潜水調査を実施するに至った。

今回の調査の目的は、歴史的な経緯や調査地点の立地を踏まえ、白石周辺とその湖底の状況を観察し、既知の琵琶湖湖底遺跡にみられるような人為的痕跡が残されているか否かを検証することである。